2017
02.03

【ゼミ生リポート】同性愛者のステレオタイプ化とメディア

Selected, リポート

(執筆:X)

今回は、「同性愛者の固定的なイメージ形成」という切り口から、バラエティ番組やソーシャルメディアといった、報道番組より一段階ソフトな情報発信に対しての向き合い方や、それらのメディアの持つ影響力について書かせていただこうと思います。

このテーマを選んだ私(男性)は、何を隠そう同性愛者です。

「同性愛者」と聞いてみなさんが思い浮かべるのは、きっとマツコ・デラックスや、はるな愛、ミッツ・マングローブなどであり、新宿2丁目などのゲイバーにいるような派手な見た目の「オネエ」なのではないでしょうか。

しかし、私は女装もしなければ、異性愛者の男性と同じような見た目で、同じような喋り方をします。一口に同性愛者と言っても、いろいろな人がいるのです。しかし、私がゲイをカミングアウトした時に、オネエ言葉はしゃべらないの?なんて聞かれたことがありました。

この出来事があって、選ばれた「バラエティ番組に出てくる同性愛者」の、「女性の格好をし、女言葉を喋り、ちょっと毒舌でユーモアがある」といったイメージが同性愛者のイメージとして固定化されている、ということに気づきました。

バラエティ番組にさかんに「オネエタレント」が登場するようになり、たしかに同性愛者は受け入れられやすい存在になったかもしれません。しかし、固定化された非常に限定的な同性愛者のイメージによって逆に同性愛者への理解が間違ったものになっている、と言えると思うのです。カミングアウトをしないで生活する同性愛者が多い社会にいる限り、TVの中の同性愛者が全てになってしまうわけで、私のような同性愛者の存在自体が認識されなくなってしまうし、誤解されてしまうのです。

このように、バラエティ番組も、情報をある視点で切り取って発信し、受け手の思考を形作るという点では報道と同じく重要な役割を担っているといえます。そして、「娯楽」として純粋に受け取られるがゆえに、むしろ報道よりも、ある「偏見」を形作るのには重大な影響力を持っているといえるでしょう。この点で、バラエティ番組を作る人々にも、ただ面白さを追求するのでない、報道を作るときと同じようなに「偏見」を排除する意識を持ってほしいと思います。

ソーシャルメディアにおいても、ゲイカルチャーが過剰に「ネタ化」されている現状があります。ある特定のゲイビデオの写真やセリフ等がネットに溢れている光景を、ツイッター等を見る学生なら誰もが目にしたことがあると思います。

ソーシャルメディアが発達し誰もが情報の送り手になれるということは、特定の個人の「偏見」も全世界に向けて発信できるということです。さらに怖いのは、このような「偏見」を含んだ個人の投稿などが「ネタ化」され、拡散されていくことです。TV番組についても同じことを書きましたが、ネタ化・娯楽化された情報こそが偏見を形作っていく大きな影響力を持つと思うのです。

バラエティ番組やドラマ、ツイッターでの「ネタ」などをそのまま面白がるだけでなく、送り手側であっても受け手側であっても、その「面白さ」が人を貶めたりなんらかの「偏見」の元に成り立つものでないか、一部だけに焦点を当てたものではないか、しっかりと考えて受け入れていくことも、メディアや価値観が多様化する現代社会において重要な事だと思います。

ところで、2016年の末に流行したドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」の登場人物には二人の「ゲイ」がいました。しかし、二人とも、喋り方も見た目も普通の男性でした。いままでTVが「選んで」きたのとは違う同性愛者が、フィクションの中とは言え取り上げられたことで、ウェブニュースになるまで話題になりました。このように、情報を伝えるだけでなく「面白さ」を求めるメディアの持つ影響力は、やはり大きいのです。だからこそ、「逃げ恥」のように、今までには選ばれなかった同性愛者の存在にフォーカスするメディアが増えていけばいいな、とも思っています。

※中村コメント:私の判断で「X」を使いました。

コメントは利用できません